「そろそろこの目玉、あげますよ教授」
「私、あんまり犯罪者にはなりたくないのよねぇ」


 ある日突然周りの色が変わりやがった。色が増えたというか混ざったというか、とにかく頭がおかしくなったのだと思った。というか実際の所、俺の頭はおかしくなったのだ。多分。いや、頭でも目でもこの際構わない。ただ治れば良かった。それだけなのに。

 ──光受容の範囲が人より広くなったのよ、君は。

 もしくは受容のシグナルの受け取りが変異したか、それとも……、彼女は楽しそうに心底面白い玩具を手に入れたみたいな態度で言ったのだった。
 初めて見たときから彼女は極彩を歪めた色をしていて、そしてそれを吹き飛ばすような笑い方をした。

 捕まった。俺は頭がおかしくなった上、頭のおかしな女と同居することになったのだ。
 気分はいかがですかと誰か訊いてくれ、ぶんなぐってやるから。

「それに、ただ刳り貫いたって誰にも君の景色は見えないからね……、嗚呼、君と同じ脳を持てたならば、なぁ!」

 感極まるかのように彼女は立ち上がる。がたん、ばさばさ。まとめてあった書類がざらざらと落ちていく音。

 彼女は俺の景色に興味があると言った。羨ましいだとか嫉ましいだとか素晴らしいだとか、言った。
 巫山戯やがって。そう言える程俺の目とか思考は既にまったく元気じゃなくなっていたので、こうして、彼女の頭のおかしな理想に付き合ってこの目玉を潰すのを思い止まっているのだ。

「人間は一人一人色覚が違う、だけれど同じ緑という表面の名前でその波長の光線を呼ぶと決めたからその差異は表面化しない。ただそれだけのことなのよ。君がもしも生まれたときから今の色覚を持って生きていたら私は君の存在を見逃すところだったわけだ。この世にまたとない素敵な視覚を持つ生き物が私の目の前にいる。未だ我々は両生類の色覚が維持されているのかすらも分からないのに、嗚呼、なんて崇高な生き物なのだろう、君は!」

 そんな君が目の前に居るだけで私は心臓が高鳴って仕方ない。この人の近くが安心するのは、俺がまだまだ全然おかしくなんかないのでないかと錯覚出来るからじゃないかなと、ちょっとだけ自覚した。教授は書類を集めるのが面倒になったらしく、紅茶を頂戴と言った。ご自分で、と俺は答える。
「ついでのくせに、意地悪ね」
「甘やかさないことにしているんですよ」
 自分の分だけ、こぽこぽと注ぐ。教授は不機嫌そうに入れ違いに台所へと向かって行った。
 昔は紅色だと思って居た今は何と名付けたら良いのか分からない色の液体を、口に含んだ。ふわ、り、甘い紅茶の香り。




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