(純情シリーズ薔薇注意)

 雨、だ。
 さっきまで気付かなかったが、様子を見ると随分と前から降っていたらしい。先輩は建て付けの悪そうな窓をからからと開けて、湿気た空気を存分に招き入れる。
 手探りで何か求めて居るのを横目で確認。仕方ないなあと、俺の手のほうが近くにあったから、お求めのライターを放ってやった。

「悪いな」
「いいえ、」

 先輩は軽く言って、ジーンズだけの姿のまま煙草に火を点けた。余り陽に焼けたりしていない肌が薄暗い景色に映えるのが、良い。先輩だな、と、思うのだ。
 俺が痛め付けるから、先輩の肌にはいやな傷が沢山ある。左腕に住んでいる無意味そうな包帯とその下の世界以外は全て俺が作ってやった。日々ぼろぼろになっていく先輩を見るのが好きなのだと、気付いたのは最近のことである。だがそんな自覚が何になる。

 雨に好かれている人だと、思う。最初の印象が強いからだろうか。そう言えば、初めて出会った時も雨だった。



 ざぁざぁ降りしきる雨の中で、傘をさした女が傘を持たない野郎に喚いているのを見付けた。
 たまたまだった。たまたま、女も男も美人だったから目に止まったのだ。そしてよぅく見ると、男の方に、見覚えがあった。

 そいつは、学校で見たことのあった奴だった。一個上の先輩。悪名高くて有名なひと。
 顔面以外に取り柄がない位の女泣かせな最低野郎だ、と聞いている。取り立て派手なわけではないが、綺麗な容姿をしているのを、遠目からは何度か見ていた。屋上に繋がる階段の所で、煙草を吸う悪い人。悪いことはばれないようにやれ、と、習っていなかったのだろうか。

 可哀想に、美女は野郎に泣かされているらしい。しかし遠目にも大変に美女だ。うまいこと付け込んだら、俺と遊んでくれやしないかな。最近ミナコちゃんに振られたからナーバスだったし、なんて、少し離れた所からこっそり伺って。

 とうとう泣き出した女に、手を差し伸べることも何もせず、先輩は彼女に背を向けた。うっわぁ、流石。
 女がまだ何か言うのも構わず、雨のなか、流れに逆らわないような柔らかさで立ち去る。咄嗟、俺は。


「先輩、」
「……誰だ、お前」

 美女に声を掛けてたらしこむのも忘れて、興味の向いたほうを追い掛けた。つまり、びしょ濡れになってる可哀想な、先輩を追い掛けたのだ。
 わざと間隔を空けて、先輩が雨宿りがてらバス停の辺りに立ち止まるのを待ってから、声を掛けた。件の修羅場現場からは結構に歩いた、寂れた所。普段から人通りが少ない場所だからか、今は誰も居なかった。

「先輩、女泣かせって有名ですよね」

 ああ何だよ、お前同じ学校か。今更の様に納得する先輩に、鞄からタオルを出して渡す。彼は、遠慮しないからなと言って、さっさと濡れた髪を拭き出した。

「泣かせ、つーか、さっきのは勝手に泣いた」
 見ていたとは言って居ないが、言ったようなものだった。勝手に泣いた、なんて、なんて適当なことを言う。

「何か言いませんでしたか、先輩」
「お前他に野郎作れば? つったらキレられた」
「当たり前でしょう」
「なんで」
「先輩の倫理観を疑いますよ、俺は」

 別に、だって俺にだけ感情向けてちゃ可哀想じゃねえか。先輩は、さらりと言った。可哀想。そんな言い方をする人間なのか。自分を好くなんて可哀想にと、哀れむなんて、侮辱もイイトコ、だ。

「世の中広いんだしさ」

 先輩は他人をバカにしているんですねぇ、と、皮肉たっぷりに言って余裕ぶった神経逆撫でしてやろうと思っていた。いたのに。
 俺の脳内に渦巻いていた皮肉めいた感情は、すっかりどこかにやられてしまった。先輩の、雨に濡れた睫毛の先に、揺れる感情を見たから。

「ねえ、先輩」

 俺が慰めてあげようか、と、口にしながら心底俺は嫌な奴で、どうやってこの脆弱な精神を壊してやろうかわくわくしてた。貴方の透明に青を足したような悲しさを、濁らせたくて堪らなかったんだ。


(溺れているのはどちらでもいい、それの自覚の有無も要らない)
(さあ、俺にもっと傷ついてよ)




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